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ポルシェ917、伝説のル・マン初制覇までの軌跡

1973年式 カレラRS 2.7 空冷ポルシェ
Photo: MrWalkr (CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons)
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ポルシェというブランドを語るうえで、レースの歴史は避けて通れない。中でも1970年、ポルシェにとって初のル・マン24時間総合優勝をもたらした「917」は、単なる一台のレーシングカーではなく、ポルシェが世界のトップメーカーへと駆け上がる転換点になったモデルだ。今日は、この917がどのようにして生まれ、どうやって伝説のマシンになっていったのかを振り返ってみたい。

レギュレーションの隙間から生まれた917

917誕生のきっかけは、1968年に施行された国際モータースポーツ連盟のグループ4規定だった。当時の規定では、一定台数以上を生産したスポーツカーであれば、排気量無制限のプロトタイプクラスで戦うことが認められていた。この規定を逆手に取り、ポルシェは短期間で規定台数のマシンを揃え、917のホモロゲーションを取得する。限られた開発期間と予算の中で、規定の隙間を突く形でレース参戦の権利を勝ち取ったところに、当時のポルシェの本気度が表れていると思う。

「じゃじゃ馬」と呼ばれた初期の917

ただし、完成したばかりの917は決して優等生ではなかった。高出力な水平対向12気筒エンジンを積みながら、空力面の詰めが不十分で、高速域での挙動が非常にシビアだったと言われている。テストドライバーからは扱いにくさを指摘する声も上がっていたようだ。この状況を大きく変えたのが、ジョン・ワイヤー率いるJWオートモーティブ・エンジニアリングとの協業だった。ボディ形状の見直しやテール形状の最適化が重ねられ、917は徐々に「じゃじゃ馬」から「勝てるマシン」へと姿を変えていく。

1970年、ついにル・マン総合優勝

そして迎えた1970年のル・マン24時間レース。ガルフカラーに身を包んだポルシェ917Kが、ハンス・ヘルマンとリチャード・アトウッドのコンビによって走り抜き、ポルシェに悲願の総合優勝をもたらした。それまで幾度となくクラス優勝を重ねてきたポルシェにとって、この総合優勝は特別な意味を持つ勝利だったはずだ。917が切り拓いたこの成功体験は、その後のポルシェのモータースポーツ活動、そして935や956・962へと続くレースの系譜の原点になっている。

まとめ

917は、規定の隙間を突く戦略から生まれ、初期の課題を克服しながら伝説のマシンへと成長していった一台だ。市販車の話とは少し違う世界の出来事ではあるけれど、こうしたレースでの挑戦と積み重ねがあったからこそ、今のポルシェというブランドの信頼と個性が形作られてきたのだと思う。空冷ポルシェのオーナーとして、こうしたルーツを知っておくと、日々のドライブの感じ方も少し変わってくるのではないだろうか。


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